第1回アメリカACC
Exteriorization & The Phenomena of Space
セータ宇宙の法則とOTの潜在能力の発見において達していた高みにもかかわらず、L. ロン ハバードが次に取ったステップはさらに重大なものとなりました。すなわち「上級臨床コース(ACC)」の開始です。彼の狙いは、特に、あらゆるビーイングにそうした潜在能力を達成させるプロセスを開発し、そのためにオーディターをトレーニングすることでした。第1回アメリカ上級臨床コースにおいて、そうした成果をもたらしたのは、外在化、そしてそれがビーイングの生来の状態を回復させることとどう関係するかについての、ロンによる画期的な発見でした。ロンは生徒のオーディターたちに次のように述べています。「外在化をひとつのプロセスとしてあなたの本に書き留めるべきではありません。外在化はプロセスではありません。私たちがプリ・クリアーに取り戻させようとしている自然な状態です。」ここには、外在化の理論と仕組みだけでなく、「規範的な機能の手順8(SOP 8)」の7つのステップによる外在化の達成が示されています。ハバード氏はACCの期間を通してその敷地でクリニックを開き、彼の直接の監督の下、ACCの生徒たちはプリ・クリアーをオーディティングしました。これは、サイエントロジーに関する予備知識を全く持たない人から、最も「手に負えない」ケースにまで及びました。L. ロン ハバード自身による指導を求めるオーディターたちの声は高まる一方でした。彼の対応はこうでした。その後12ヵ月にわたって8回ものACCを開き、それは最終的に、外在化したOTの能力への道筋として結実したのです。
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「いつでも私がオーディターをうまく訓練した時には、彼が社会に出ていくと、彼から溢れんばかりの光が広がっていくのがわかりました。」― L. ロン ハバード
「フィラデルフィア博士号コース」、『サイエントロジー8-8008』と「因子」の完成とともに、L. ロン ハバードは、機能しているセイタンの潜在能力と、それを達成するための道筋を発見しました。しかし、ここでどれほどの高みに達していたとしても、調査と開発の次のステップは一層重要なものでした。具体的には、すべてのビーイングにそれらの潜在能力を達成させるために、どのオーディターにも適用できるように手順とプロセスを改善し、単純化することでした。
その目的に向けて、彼はニュージャージー州カムデンのクーパー通り726番地の2階と3階に8つのオフィスを構えました。当初、「上級テクニックの特別コース」と呼ばれたもののためでした。実際、それは非常に特別なコースだったため、殺到する志願者の中から、地球上で最高のオーディター、12人だけが選ばれて参加することができました…文字通り、ロン自らの手によって選ばれたのです。
そして、1953年10月のその歴史的な日に、L. ロン ハバードはまさに最初の上級臨床コースのオープニング講演を行いました。それから6週間にわたり、外在化、そしてビーイングを生来の状態までリハビリすることが外在化といかに関係しているかについて、重大な転機となる発見に関してオーディターたちを指導しました。彼は、「規範的な機能の手順8(SOP 8)」のテクニックによるその適用法だけでなく、正確な理論とメカニックスを詳しく説明することによって、外在化はプロセスではなく、すべてのプリ・クリアーが取り戻すことになる自然な状態であることを明確にしました。
外在化の手段としてのSOP 8をすでに確立していたハバード氏は、その7つのステップそれぞれの根底にある理論と適用を扱いました。それには以下の大発見が含まれていました。
- 空間をつくる:外在化したセイタンとして機能するビーイングの能力に本来備わっている本質。
- アンカー・ポイント:プリ・クリアー自身と身体の間にあるプリ・クリアーの空間を維持することとアンカー・ポイントとの関係。それに加え、その空間を創造したり、変化させたり、消滅させたりするプリ・クリアーの能力をリハビリする上でのオーディターの役割。
- 行き渡る:セイタンが知る方法に関する本質。それに加え、行き渡ることは、存在性、所有性、そしてほぼどのようなことでも行えるエネルギーを生み出す、セイタンの能力とどのように関係するのか。
- そして「主観的(サブジェクティブ)オーディティング」の要因と「客観的(オブジェクティブ)オーディティング」の要因の対比:その定義、およびなぜ、いつそれぞれを用いるのかに関する詳細。
しかし、それだけではありません。ハバード氏はACCの期間を通してその敷地でクリニックを開き、彼の直接の監督のもと、生徒たちはプリ・クリアーをオーディティングしました。これは、サイエントロジーに関する予備知識を全く持たない新しいパブリックから、最も「手に負えない」ケースにまで及びました。ここは彼にとって、テクニックの調査とさらなる改良のための試験場となったのです。そして、まさにそのようにして、彼は最高レベルの存在性に関する発見とテクニックを適用することによって、人間の逸脱の深淵を探り、解決する手段を発見することになったのです。
また、そこには次の年へと展開する物語もありました。上級臨床コースはすでに進行中だったにもかかわらず(また、選りすぐった少数の者だけをトレーニングするというハバード氏の強い主張にもかかわらず)、世界中でオーディターたちはもはや登録を「志願」するのではなく…要求していたのです。それに対するL. ロン ハバードの対応は、今や伝説となっています。つまり、12ヵ月にわたり、500回以上の講演から構成される、8つの別個の上級臨床コースを開いたのです。それは最終的に外在化したOTの能力への道筋となりました。
上級臨床コース、そのすべてが始まった場所、1953年10月6日、ニュージャージー州カムデンへようこそ。